神戸にて日本人の母とイスラエル人の父の間に生まれる。
保育園からハイスクールまでを神戸のインターナショナル・スクール“Canadian Academy”にて過ごす。幼い頃からあらゆる音楽活動に興味を示し、3歳からはバレエを習いだす。しかし、9歳の時に医師から脊柱が曲ってしまう脊柱側湾症という病名を告げられ、病期の進行を防ぐため背中に銅棒を埋める手術を受けることに。そのためバレエは当然として、今後はすべてのスポーツを諦めざるを得なくなり、ギラは音楽こそが自身の運命だと感じる。
術後直ぐの10歳からアルト・サックスを始め、ついで音楽を更に理解するためキーボードも始める。ハイスクールではバンド活動も始め、同時にジャズビッグバンドのリーダーも務めた。
ハイスクール卒業後、ボストンのバークリー音楽大学に単身留学。アルト・サックスを専攻するものの、歌こそは自分の運命の楽器であると感じるようになり、2年目からは進路を変更する。
バークリー音楽大学では、彼女の声楽の先生であるエイプリル・アラビアンが指導する“ヴォーカル・ジャズ・アンサンブル”や、ボブ・ストロフが指導する“ヴォーカル・サミット”、さらにはオーヴァル・ライトとデニス・モンゴメリーⅢ率いる“レベンス・ゴスペル・クワイヤ”に参加。同大学は1991年に卒業。
卒業後は地元神戸に戻りテレビやラジオDJ等の仕事を始める。FM802ではDJとして自身の番組を3年近く担当。同時に、ABCテレビの朝の情報番組アシスタントホストを務める。
タレントとして歌手として自身のキャリアを広げていくことを望んでいた矢先、1995年、阪神淡路大震災に見舞われ、仕事を中断することを余儀なくされる。
しかし、自身の音楽への夢を諦めることは出来ず、活動の場を東京に移すことに。上京後は、CM歌唱やラジオDJ等の今までの活動に加え、ベネッセの英語教材で声優を務めたことをきっかけに、TVCM等のナレーションも行うようになった。近年のCM歌唱の代表作としては、マツダ、全日空、ハーゲンダッツ等があり、中でも「fly me to the moon」を歌った全日空のCMは「誰が歌っているのか?」とと問い合わせが殺到し大変な話題となった。
2002年には、女性のゴスペル・クワイヤ“Voissalot Choir”を結成。同グループは3枚のアルバムをリリースし、東京ディズニーシーや、JZ Brat、スイートベイジル等でライブ活動も定期的に行い、CMでの歌唱も担当した。
2004年、ニューヨークで長男を出産。半年後には歌手としての活動を再開する。
2006年、洗足音楽大学にジャズボーカル科の講師として招かれる。
2007年、男性ヴォーカリスト“矢幅歩”との劇的な出会いを切っ掛けに、ツイン・ヴォーカルユニット“Solo-Duo”を結成しライブ活動を行うようになる。
2009年に“Voissalot Choir”が念願のN.Y.アポロシアターでパフォーマンスを行ったことを切っ掛けに、以降はクワイヤの活動から離れ、ソロとしての活動に専念。
2010年に開催された“第十一回神戸ジャズ・ヴォーカル・クイーンコンテスト”にてグランプリを獲得。副賞としてシアトルの名門ジャズ・クラブ“ジャズアレイ”でのライブ権を獲得し、現地でのライブは大好評を得た。同年10月にリリースされた初のソロ・アルバム「all Me」は、これまでジャズの中心部ではあまりその存在を知られていなかっただけに、多くのジャズ関係者・リスナーを驚かせ、[JAZZ JAPAN][JAZZ LIFE][ジャズ批評]等の専門誌をはじめ一般紙でも紹介され、朝日新聞では二度に渡って大きく取り上げられた。
2011年9月21日、2ndアルバム「appearance」をリリースし、自身初のバンド編成での全国ツアーを敢行。
2012年2月29日には六本木STB139 にてデビュー20 周年記念イベントを開催。お馴染のメンバーに加え、嘗ての仲間【voissalot choir】やスペシャルゲストばんばひろふみ等を迎えて、これまでの集大成となるコンサートを行った。
2013年4月24日、矢幅歩とのデュオ・ユニット『SOLO-DUO』としてミニ・アルバム「breathing…」をリリース。
2013年7月24日には、自身3枚めのソロ・アルバム「Day Dreaming」をリリース。
ジャズにパワー溢れるソウルフルなエッセンスを加えたヴォーカルは聴く人を楽しく癒す。現在、神奈川県にある洗足学園音楽大学でジャズ・ヴォーカルの講師も務めている。